大日本帝国憲法発布できるかな


当時の国民は「憲法」という意味が分からずこのような誤解をしたそうですw
「公布」を「発布」としたのも良くなかったような…。
※意味は同じです。
しかし、帝国憲法はぎりぎりまで発布の日すら秘密にされていて、その内容を知ることは誰にもできませんでした。


「滑稽なことには、誰も憲法の内容をご存知ないのだ」と『ベルツの日記』にもあるように、国民は中身を知らされず大騒ぎし、当日は新聞各社が速報合戦を繰り広げたそうです。
しかし、式典などは以前から盛り上がるよう仕掛けられていたそうで、万歳は「バンゼイ」→「バンザイ」と読み替えるよう文部省が指導し、三唱することは帝大総長外山正一が発案したそうです。


帝国憲法は様々な人権規定を設けましたが、発布の前後はかえって厳しい取締があり、理想と現実のギャップがかなりあったようです。
また、帝国憲法の発布の前後で各種法律もそれぞれ改正が行われましたが、民法典論争など、ごたごた続きでした。
なお、帝国憲法はこの後何度も歴史の流れの中で「停止」の危機に立ち向かうことになります。
思った以上に「弱い」というか、お父さん(元老)っ子というか…過保護に育った虚弱な子のイメージがあります。

参考文献:
・ベルツ(著)浜辺正彦(訳)『ベルツの「日記」』(岩波書店、1939)
・日本近代史研究会(編)『大日本帝国の確立:画報日本近代の歴史5』(三省堂、1979)
・幸徳秋水『兆民先生・日本の名著44』(中央公論社、1984)
・朝日新聞百年史編集委員会『朝日新聞社史1 明治編』(朝日新聞社、1990)
・宮地正人 ほか『ビジュアル・ワイド明治時代館』(小学館、2005)

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